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2021/06/24
日経新聞小説 伊集院静「ミチクサ先生」所縁の話題と資料(9)
漱石の下には、各界で活躍する名士が集まり、その人脈は「漱石山脈」と形容されました。小宮豊隆と寺田寅彦はその中でも特に漱石に可愛がられた「主峰」であるとともに、二人は頻繁に書簡を交わす親友でした。こうして交わされた書簡のなかでとりわけユニークなのがここに紹介する絵葉書で、この一枚に漱石作品『三四郎』の世界や明治の世相が凝縮されています。
日露戦争後、通信手段として爆発的に流行した絵葉書に、作中人物・野々宮のモデルとされる寺田が、同じく主人公のモデルとされた小宮に「三四郎様」の宛名で年賀を述べています。さらにマドンナ・美禰子の名や葉書の意匠は作中登場の画家・原口(モデルは装丁画家・橋口五葉とも)作とするなど、小さな絵はがきの中に作品と現実が交錯する世界が展開しているのです。 -
2021/06/23
日経新聞小説 伊集院静「ミチクサ先生」所縁の話題と資料(8)
漱石の出世作「吾輩は猫である」は誰もが目に耳にしたことのある傑作ですが、これにモデルとなる猫がいたことをご存知ですか?
明治37(1904)年7月のある日、夏目家の台所に居候を始めた黒猫がそれで、漱石はこの猫のおかげで神経症を克服、同時に猫の目から見た滑稽な人間観察を綴ったところこれが大ヒット。作家・漱石の道を決定づけました。
漱石にとっては恩「人」でもある猫の死は、哀悼とユーモアをこめた以下の文言による葉書で、ごく親しい知人や弟子たちに知らされましたが、うち小宮豊隆宛のものが写真のものとなります。辱知猫義久々病気の處療養不相叶昨夜いつの間にかうらの物置のヘツツイの上にて逝去致候 埋葬の義は車屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但し主人『三四郎』執筆中につき御会葬には及び不申候 以上 九月十四日
ハガキには黒い縁取りがなされ、訃報であることがわかります。執筆に忙殺されていたはずの漱石ですが、愛猫ゆえのことなのか、丁寧に調整したこだわりのハガキとなっています。
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