みやこ町デジタルミュージアム

新着情報

  • 2021/05/28

    第2回みやこ歴史散策サイクリング開催

     5月9日みやこ町観光まちづくり協会主催の「第2回・最新レンタルバイクで巡る《みやこ》歴史散策サイクリング」が行われ、県内より5名の参加者と特別ゲストに山田大五朗氏(Bike is Life オーナー)を迎えて爽やかな風の中開催されました。

     犀川駅から歴史民俗博物館に立ち寄り、館内でレクチャーを受けて史跡巡りスタート。小笠原神社、思永館、黒門、かつての城下町の町筋(本町・錦町)から八景山へと向かい、ポイントの史跡説明は博物館の学芸員が行いました。

     八景山からの景色は、あいにく黄砂で霞んでいましたが本来ですと東に西瀬戸の海の景色、南に求菩提から英彦山の山々が望めます。最後に護国神社裏にある大岩にパワーをもらい再び軽やかに坂を下って行きました。

     コロナ禍にあっても歴史と文化を堪能できる有意義なイベントでした。

  • 2021/05/27

    日経新聞小説 伊集院静「ミチクサ先生」所縁の話題と資料(6)

     日本経済新聞に連載中の小説 伊集院静氏作「ミチクサ先生」ゆかりの館蔵資料とエピソードを紹介するこのページ。
    6つ目は「池辺三山発漱石宛書簡(明治40年3月17日)」です。


     漱石のプロ作家デビューを決定づけた池辺三山(本名:吉太郎)は明治40(1907)年3月15日、坂本雪鳥の地均しを経、満を持して夏目家を訪問、直談判によって見事漱石の口説き落しに成功します。口説かれた方の漱石は池辺のことを、事情を知らないままに「西郷隆盛の如き人」と評し、その人物の快闊さに安心して朝日新聞入社を決意したと後に語っています。
     ところが三山は「肥後の西郷」と呼ばれた池辺吉十郎(西南戦争で熊本隊を率いて西郷軍に参加、乱後刑死)の息子であり、漱石の見立ては当たっているどころではなく、人物評の鋭いことで知られた漱石らしい逸話といえます。
     なお、ここに紹介する書簡は入社決意後の翌々17日、三山から「お祝いに有楽町の『日本倶楽部』で晩餐でもいかが…」と記した漱石あての招待状で、内容は何気ないものではあるものの、その書体は豪放磊落といってよい強烈な個性が顕れており、これもまた文豪の誕生をめぐる貴重な記録といえそうです[小宮豊隆資料から]。

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