みやこ町の文化財についてのよくある質問を記載しています。 文化財について疑問に思ったことを「学芸員に質問する」からお送りください。いただいた質問については可能な範囲で回答をホームページに記載させていただきます。
下田経塚出土の経筒の中に入っていたという紙の束には何が書かれているのですか。
02月10日
経筒の中に入っていたロール状の紙は学術用語では「紙本経」(しほんきょう)と呼ばれる、お経を書いた紙の巻物です。 この巻物は永年の風化等でこり固まってしまい現在中身を見ることはできませんが、断辺的に見える文字からすると、書かれたお経はおそらく「法華経」とみられます。法華経は経筒に納められる経典として最もポピュラーなお経です。 なぜかというと、法華経は、お釈迦様の言葉を最も忠実に綴ったお経と信じられていて、数あるお経の中の王様!(諸経の王)という言葉もあったほどです。 現在当館のエリア3「みやこの土の中」のコーナーに常設展示していますので、当館へお越しの際は、じっくりとご覧になってみて下さい。
バックヤードツアーなどは行っていますか
03月09日
定期的な案内は現在行っておりませんが、研究目的や学習事業等の場合には対応可能な場合もございます。まずは博物館までご相談ください。
歴史民俗博物館の見学は、車椅子での入館見学は、可能ですか?以前、『博物館だより』に夏目漱石の長編小説『我輩は猫である』の猫のイラストが民族博物館に所蔵されいるとの事が記載されてました。珍しいので、是非訪れてみたいと思いまして、お尋ねいたしました。
03月07日
車椅子による見学は可能です。当館はバリアフリーで車椅子の方々に観覧しやすい展示となっております。また車椅子に対応した駐車場、トイレも設けられておりますので、是非ご来館下さい。
町で博物館を持っている所は珍しいと思いますが何か理由があるのですか?
04月19日
みやこ町は、人口規模は小さな町ですが、町中に古代から現代に至る数多くの歴史遺産があります。 みやこ町歴史民俗博物館は、その遺産の収集、保管、展示を行うとともに、地域住民の学習の場として、あるいは、郷土の歴史や文化を未来に繋ぐ場として大切な役割を担った施設であると考えています。 この地に博物館を建設することになったのは、地域住民の郷土に対する誇りと旺盛な学習意欲の表れかもしれません。 これは、私見ですが、幕末から明治にかけての激動期に、小倉から追われた小笠原氏が新天地での再起をかけて、この地に新たな藩庁とともに藩校を建設したことが影響しているのではないかと推察しています。 藩校から現在に至る学校の存在は、この地に暮らす人々に広く学習機会を与えるとともに、地域から多くの人材を輩出する契機ともなりました。これが、後に教育への投資を惜しまない風土を培っていったのではないでしょうか。 こうした背景もあって、平成6年、合併前の旧豊津町において「歴史民俗資料館」が建設されました。 その後、平成18年3月の3町(旧勝山、犀川、豊津)合併に合わせて、「みやこ町歴史民俗博物館」に名称を変更し、平成27年11月には、館内のバリアフリー化や機能強化を図るためにリニューアルを実施。今後は、お越しいただいた方々に、より親しみやすい学習の場を提供するために館の運営に関しても一層の工夫をこらしたいと思っています。