博物館では、皆さんが普段ご覧になる展示室とは別の空間で、整理作業(ナンバリングや撮影、台帳作成・収納など)を行っています。この作業を行ってはじめて資料の特性が判明し、展示や活用のための道筋がつくことになります。
この作業は地道に根気強くやるしかないのですが、その過程で小さな(時に大きな)発見と感動、嘆息と問いかけがなされます。そこがこの作業の醍醐味ですが、皆さんにもその一端をご紹介します。

整理作業のひとつ「資料写真撮影」
館に収蔵される資料はさまざまですが、新たに受け入れる資料は、資料台帳とよばれる数量や特性を簡潔に記したノート(カルテ兼データベース)を作ります。このときに資料をじっくり観察し、写真を撮り、一つ一つの特性を確認して、資料の全容を把握するようします。そうすると、それまで黙っていた資料たちが思わぬおしゃべりを始め(ちなみにこれは例えでして、本当にしゃべると不気味です…)、私たちに様々な情報を伝えてくれるのです。
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蔵出し最新情報fileno.009「小宮豊隆資料(追加分)」
今回のおすすめの一品は、小宮豊隆資料(追加分)から、小宮豊隆『喜寿祝賀』芳名録です。幅広い交友関係のある小宮さんが、みんなに慕われていたことが伺えます。
詳細は、下記のPDF「ここがみどころ、ここがツボ‼」整理作業の最前線から「蔵出し」最新情報file.009をご覧ください!
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蔵出し最新情報file.010「小宮豊隆資料(追加分)」
今回のおすすめの一品は、小宮豊隆資料(追加分)から、小宮氏の原稿(手書き原稿)です。大正から昭和にかけての洋画家、安井曽太郎氏と小宮氏の友人関係が垣間見えます。
詳細は、下記のPDF「ここがみどころ、ここがツボ‼」整理作業の最前線から「蔵出し」最新情報file.010をご覧ください!
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蔵出し最新情報file.011「小宮豊隆資料(追加分)」
今回のおすすめの一品は、小宮豊隆資料(追加分)から、小宮氏の日記(昭和30年代)と、俳句手帳に書かれた自筆の句です。数十年ぶりに帰郷し、母校豊津高校(現育徳館高校)と故郷久富を訪れた際の小宮氏の胸中がひしひしと伝わってきます。
詳細は、下記のPDF「ここがみどころ、ここがツボ‼」整理作業の最前線から「蔵出し」最新情報file.011をご覧ください!
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蔵出し最新情報file.012「小宮豊隆資料(追加分)」
今回のおすすめの一品は、小宮豊隆資料(追加分)から、小宮氏自筆の日記・俳句手帖・装帖です。漱石忌の出来事や大晦日に詠んだ句など、昭和31年(1956)の小宮氏の心の声がきこえてくるようです。
詳細は、下記のPDF「ここがみどころ、ここがツボ‼」整理作業の最前線から「蔵出し」最新情報file.012をご覧ください!
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蔵出し最新情報file.013「小宮豊隆資料(追加分)」
今回は、小宮豊隆資料の「ベルリン日記」・「小宮豊隆日記」・「小宮恒あての手紙」をご紹介します。小宮豊隆は大正12年3月から翌年9月までヨーロッパに留学し、詳細な記録を日記に残しています。この記録をもとにまとめられたものが彼の没後に発刊された「ベルリン日記」です。この留学中に関東大震災が発生します。「小宮恒あての手紙」では、遠く離れた外国の地で家族の安否が確認できない不安などが記されています。詳細は、下記のPDF最新情報file.013をご覧ください! -
蔵出し最新情報file.006「小宮豊隆資料(追加分)」
今回の「おすすめの一品」は、夏目漱石門下のひとり安倍能成から小宮豊隆へ宛てた書簡です。昭和20(1945)年、第2次世界大戦終戦間近の4月27日の出来事をご紹介します。
戦禍で心身ともに疲弊していた安倍が、漱石の俳句と漢詩に癒されている様子が伺えます。
詳細は、下記のPDFこの資料「ここがみどころ、ここがツボ‼」-整理作業の最前線から蔵出し最新情報file.006をご覧ください! -
蔵出し最新情報file.007『對州御下向海陸日記(往路)』
今回のおすすめの一品は、朝鮮通信使資料『對州御下向海陸日記(往路)』の中の、長州上関での出来事です。
大阪から出港し、瀬戸内海を西へと進んだ小笠原忠固一行は、長州上関へ立ち寄り、毛利斉煕(もうりなりひろ・長州藩第10代藩主)から山海の珍味を使用した、本膳・二の膳に果物・御菓子を加えた御膳料理の「おもてなし」をうけました。
詳細は、下記のPDF「ここがみどころ、ここがツボ‼」file.007朝鮮通信使資料もあわせてご覧ください! -
蔵出し最新情報file.008「小宮資料(追加分)」
今回のおすすめの一品は、漱石の人生史上最大のピンチ「修善寺の大患」の様子を詳細に綴る小宮豊隆が記した日記になります。詳細は、下記PDF「ここがみどころ、ここがツボ‼」file.008をご覧下さい