豊前国分寺の境内に、凛としてそびえ立つ、福岡県指定文化財「三重塔」は、明治29年(1896)に、当時の国分寺住職・宮本孝梁氏の献身的な努力によって完成したものです。大工棟梁は緒方義高といい、旧豊津藩の藩庁建設にも携わった人物でした。塔の高さは23.5メートル。全体の規模に対して一層部が大きいため、どっしりとした安定感を持つ塔です。
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三重塔全体写真②
天平13年(741)に出された「国分寺建立の詔(みことのり)」で、聖武天皇は、それぞれの国分寺に七重塔を建てるよう指示しました。もちろん豊前国分寺にも、七重塔が建てられたものと思われますが、その創建当初の塔が境内のどこに建てられ、いつ頃まであったのかについては、よく分かっていません。国分寺に伝わる伝説では、戦国時代、豊後のキリシタン大名大友宗麟によって国分寺の建物は焼き尽くされたといいます。戦国時代まで七重塔が残っていたとは考えにくいのですが、少なくとも江戸時代に入る前の段階で、豊前国分寺に創建当初のような立派な建物は存在しなかったものと思われます。写真は平成9年1月22日、向井澄男氏撮影。
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改修前写真
明治29年に完成した三重塔は、年月を経る中で落雷に遭うなどし、一時は倒壊が心配されるほど傾いていた時期がありました。それを昭和60年から61年にかけて、多くの方々の寄附や補助金などによって解体修理を行い、現在のような美しい姿に甦ったのです。
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星座写真①
この塔には様々な意匠が凝らされていますが、中でも二層目の軒下にある梁に、12星座が彫刻されているのは興味深い特徴です。これは、仏教の宇宙観を表現したものであり、12星座そのものが仏教の守護神として扱われてきたことに由来しています。ぜひ、ご自分の星座を捜してみてください。写真はカニ座。
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星座写真②
三重塔に彫られた星座(天秤座)
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すす払い
毎年12月、みやこ町歴史民俗博物館友の会の会員による「三重塔すす払い」が行われています。
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三重塔まつり
国分寺跡公園に梅が咲く頃には「三重塔まつり」が開催され、大勢の花見客で賑わいます。写真は三重塔まつりでの護摩焚き。
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三重塔三層部からの眺望(西)
三重塔三層目からの眺望(西面)。右の「へ」の字形の山が「龍ヶ鼻」、中央に遠く見えるのは「福智山」。
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三重塔三層目からの眺望(南面)
三重塔からの眺望(南面)。遠くにかすむ英彦山(ひこさん)。
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