僧形八幡神坐像は、生立八幡宮のご神体として500年近く本殿の奥に鎮座していましたが、明治の初めにそのご神体としての役割を終え、現在は貴重な文化財として大切に保管されています。八幡神という神様でありながら、頭を丸め、袈裟を着たお坊さんの恰好をしているのは、日本人に特徴的な「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」の信仰スタイルをあらわすものです。
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胎内銘文
僧形八幡神坐像の胸の部分には胎内銘が刻まれています。それを口語訳すると次のとおりです。「豊前国仲津郡木山郷に鎮座する生立八幡宮は郡中第一のおやしろである。治暦3年(1067)に城原(きばる)の地からお移しした八幡大菩薩の尊像は、養老7年(723)に時の豊前国司・宇奴首男人(うぬのおびとおひと)が奉納したものである。しかし今、さしたる理由もなく壊れるところがあったので、不吉なことが起こる前触れのように思われ、誠にもって恐るべきところである。よってそのことをその筋の役所へ届け出たうえで、新たに刻み直した神像を安置するものである。応永元年6月の善き日に、願主の地頭・西郷高頼(さいごうたかより)敬って申し上げる。」
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木造僧形八幡神坐像側面
木造僧形八幡神坐像側面
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生立八幡宮①
鬱蒼とした木立に囲まれる生立八幡宮
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生立八幡宮社殿
生立八幡宮社殿
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長井手永大庄屋日記
明治2年(1869)、廃仏毀釈の風潮により、この神像は京都へ運んで彫刻し直し、僧形ではなくすることが計画されましたが、多額の費用がかかるため結局は実行されなかったようです。画像は、その時のことを記録した明治2年の長井手永大庄屋日記(九州大学記録資料館蔵)
- 特にありません。
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