■福岡県指定文化財
木造阿弥陀如来坐像は、平安時代後期(藤原時代)の作ですが、後世に玉眼が入れられ、藤原仏のふくよかな頬の張りに玉眼の写実性が加わり、鎌倉時代の仏像に見間違えるような姿をしています。
木造阿弥陀如来坐像胎内文書:木造阿弥陀如来坐像の胎内から見つかった文書によると、この仏像は明徳元年(1390)と寛文2年(1662)に修理されたようです。
木造阿弥陀如来坐像②:修理前の木造阿弥陀如来坐像(正面)
木造阿弥陀如来坐像③:修理前の木造阿弥陀如来坐像(背面)
峯高寺外観:峯高寺は、最初信州飯田にあって慶林寺といいました。小笠原家18代当主・秀政の妻であった福姫(徳川家康の孫娘)がこの寺に葬られ、その法名を「峯高寺殿」いったことから峯高寺という寺号に改められました。小笠原家の転封にともない寺地も移転。小倉に移ったのは寛永9年(1632)でした。慶応2年(1866)、長州戦争によって小倉から退き、田川郡鏡山(現田川郡香春町)、仲津郡天生田(現行橋市)を経て、明治26年(1893)現在地に移りました。
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