終戦時の洪水で片足が流失しましたが最近まで登山道のシンボルとしての役割を果たしてきました(現在は移転)
参道(台ノ原付近①):山下集落・高座地区の人々が耕作していた旧棚田脇を通る参道。道脇の巨石で弘法大師が護摩を焚いたという伝説があります
参道(台ノ原付近②):いよいよ山間地へ入る参道。明治以降に近代に敷設された石畳が残ります
参道(追分石付近):棚田や渓流の側を通る参道。ダム工事でやがて消滅の運命にあります
追分石:蔵持山中と鐙畑集落の分岐に立つ追分石。大正年間の建立
追分石碑面:碑面には「右クラモチ・左アブミ」と刻まれます
参道(下ノ谷付近):参道はいよいよ傾斜も急になり霊山の懐に入ったことを実感させてくれます
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