■国指定文化財
永沼家住宅は、修験道の山として名高い英彦山の麓、みやこ町犀川帆柱にあります。入母屋造りの茅葺で、平面が長方形の「直屋」とよばれる構造となっており、幅約20メートル、奥行き約11メートルの大きさがあります。
永沼家住宅平面図:永沼家住宅平面図
永沼家住宅鳥瞰図:永沼家住宅鳥瞰図
家建諸控帳①:永沼家住宅の建設については、「家建諸控帳」という古文書が残されていて、建設過程を詳しく知ることができます。それによると、建設が始まったのは、天保10年(1839)からで、地元はもちろん、日田や広島からも大工などの働き手が集められました。材木の伐り出し、旧宅の取り壊し、地均し、基礎づくりと工事は進み、棟上げが行なわれたのは天保11年(1840)3月17日、今の暦で言えば4月19日でした。
家建諸控帳②:天保11年(1840)3月17日に行われた永沼家住宅の棟上げでは120名が棟上げのお祝いに招かれ、直線距離で約20キロメートルも離れた上毛郡宇島(現豊前市宇島)で購入した、タコ・エイ・エビ・イカを使った魚料理など、大変なご馳走が振る舞われました。完成したのはこの翌天保12年ですが、その豪壮な姿に人々はさぞ驚いたことでしょう。
永沼家住宅内部①:永沼家住宅内部(台所から広間を見る)
永沼家住宅内部②:永沼家住宅内部(前座敷と奥座敷)
昭和62年全面解体修理写真:建設から約150年が経過した昭和62年、永沼家住宅の全面解体修理が、国・県等の補助を受けて行なわれました。3年がかりで行われた修理では朽ちた材木を取り替えるとともに、天保時代に建設された当初の形が復元されました。
平成の修理事業写真:昭和の全面解体修理から20年後、平成20~21年度にかけて、国庫補助事業による大規模な修理が行われ、茅噴きの屋根もニリューアルされました。
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