■蔵持山から広がる「祈りのネットワーク」
蔵持山はその主峰が単独で存在したわけではなく、「蔵持連山」とも呼ぶべき三つの支峰や、山麓やゆかりの地に広がる鷹崛を筆頭としたミニ霊場群などからなります。加えて山伏たちが修行の成果の実践として里へ出かけて拓いた檀那場(信者の村や家々)が山の周辺各所にあり、そこでは活動の成果として祠やお堂、石碑など多種・多様な祈りのモニュメントや記念の場が営まれました。ここではそうした山伏と里人との交流の証となるさまざまな事物を紹介します。
鷹崛権現 -鷹の雄姿に見える自然の造形の妙-:
平安時代に彦山の羅運上人によって開かれ、その後蔵持の山伏が別当(司祭)を務めた鷹崛権現。その名の通り鷹が翼を広げたような巨大な洞穴がご神体で、ここに彦山の神(三所権現)を祀っています。
「彦山四十九窟(ひこさんしじゅうくくつ)」と呼ばれる英彦山の洞窟信仰ネットワークの11番目の拠点とされ、地元・岩屋河内集落にはそのことを伝える縁起書が「宮柱」を務める家に残されており、悠久の歴史が伝えられています。
鷹崛参道「蹴上がりの石段」:
鷹崛へと至る参道。岩屋河内集落から30分ほど山道を歩き、最後に現れるワイルドな石段で江戸時代後期の作。急斜面を一直線に上るが、登る際はステップにした石を蹴るよう進まないと上へ登れないことから「蹴上りの石段」とも呼ばれる、山伏流の野趣あふれる石段。。
なお、現在は近くまで林道が開通して「苦行」度は半減していますので気軽に社殿までチャレンジできる(はず)。また、灌木も切り拓かれてオープンになっており、上り詰めた時の爽快感と眺めは抜群です!
不滅の霊水「阿伽水」:
岩から沁み出した水を、石を穿ったくぼみにためた「不滅の霊水」。どんな干天にも干上がることがなく、神徳に叶うものが飲めば万病に効くとされています。窟修行では、こうした水を「阿伽水」と呼び、本尊に捧げる聖水としていたことからこうした伝承が生まれたものと考えられます。
針の耳:鷹崛には周辺の奇岩を取り込んだミニ霊場が展開しています。これは針の耳と呼ばれる天然の岩トンネル。罪深いものは岩が口を閉じて挟まれてしまうとされ、修験の霊場にはよく見られる行場です。
仏岩:犀川下伊良原・釜の河内集落の奥にある「仏岩(ほとけいわ)」と呼ばれる岩屋のミニ霊場は、だれがいつ開いたかという話は伝わっていませんが、蔵持山を緒面に見据える眺めから、蔵持山伏の行場の一つとみられます。
仏岩からの眺め:仏岩は小規模ながら岩場や窟、閼伽場も整ったミニ霊場です。岩場からの眺めは絶景で、伊良原ダム湖はもちろん好天の日は周防灘も見渡せます。
蔵持連山の一峯「神楽山」:
神楽山は城井宇都宮氏が拠った山城跡として有名ですが、蔵持ゆかりの霊山ともされています。
蔵持山には神功皇后伝説があり、皇后は三韓出兵にあたり支峯となるこの山で神楽を舞って戦勝祈願。その後無事に凱旋できたのでそのことの感謝に「日月の鞍」と呼ばれる名だたる鞍を奉納し、城井の山を「神楽山」、本山を「鞍用山(のちに「蔵持」と改める)と呼ぶようになったと伝えています。
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