律令国家の成立とともに整備された当時の高速道路「官道」は、各国の国府と大宰府・平城京を最短・最速で結ぶ高規格道路で、主要拠点間を直線で結ぶなどの特色があります。また、最近では発掘調査例も増え、町内でも東九州道建設工事の際、発掘調査が行われて、実際に当時の路面も確認されています。
西海道豊前路(呰見地区/発掘調査時の状況):律令制下の古代、官道として整備された道の多くは現在、集落や水田中の里道であったり、野道のようなたたずまいとなりかつての輝きは失われたように見えます。しかし、いったん発掘調査等の手段によって覆土を剥がしたとき、当時の政権が最新の技術を駆使して整備した高規格道路の姿がよみがえります。ここではそうした機会を得た古代道路の姿を垣間見てみましょう。
西海道豊前路(呰見地区/発掘された路面の一部):発掘調査で蘇った古代官道の姿。整地した地面に砂利を敷き詰め、厳かな雰囲気がうかがえます。国府がいよいよ間近に迫った場所ゆえに施された工法なのかもしれません。
西海道豊前路(呰見地区/発掘前の旧状):かつての官道は現在、集落を貫く小さな里道にすぎず、写真のような姿となっています。画面左の道がそれで、画面おおむね中央にあたる祓川方向に向かって真っすぐに下ってゆきます(ちなみに、その先が国府で、ここから1キロメートルほどの距離で、「豊のみやこ」もうそこかと思わせる距離です)が、その構成にやや官道らしさが偲ばれます。
西海道豊前路(国作地区):国作地区を通る西海道。すぐ左は甲塚方墳の周堤で、この道を通る者は、自動的にこの古墳の被葬者の権勢に思いをはせる効果がありそうです。
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